特集

ライフワークを通して自然や植物、地球環境とか、人と人とのつながり、ものづくりや手づくりの心について思うことなど様々な分野で活躍する人たちからのメッセージをお届けします。

vol.14 地球を感じて生きていきたい

追記:谷口さんは2015年12月22日に大雪山系黒岳を登山中に遭難しお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

私の生きる道

このせっけんwebと自分との関わりって何だろうと考えてみた。その中でひとつの糸が、より地球を感じながら生きていたいという私の行動から繋がった。
私はこの素敵なwebに拘わっている皆様のように、せっけんを作り出しているわけでもないし、ハーブの栽培や研究をしているわけでもない。
ただこの地球の大地に身をまかせて生きている。どれだけ地球に近づけるか、母なる大地に接して、会話して、その懐に守ってもらえるか、を考え感じていることが私の生きる道かもしれない。

写真:インドヒマラヤ・シブリン峰

何故冒険に出掛けるのか

私は時に過酷な環境の中で、最果ての地に挑んでみたりする。間違ってはいけないが、それって、別に自分の体を痛めつけたい(M的な?)発想ではない。
極限の世界では、地球の本当の姿と、人間の弱さと強さの可能性を見ることが出来ると思うのだ。例えば、世界最高峰のエベレストだったり、果てしなく水平線が続く海の上だったり、日干し煉瓦で造られた土の家が続くサハラ砂漠だったり、崩れゆく氷河の上だったり。自分が直面した想定外の状況、自然の脅威に打ち勝ち生き抜くために重要なのは、そこにある地球の姿と対峙することだと思う。人類の発明した道具を使って自然の姿を葬り去ることではなく、共に生きていくにはどうしたら良いか、を考えたい。それは弱い内面の自分との闘いかもしれない。

写真:日々崩壊している氷塊を下降中

人類が生き残る術

ヒトはもっと昔、本来の持つ強さ(それは肉体的な強さと精神的な強さとを含めて)によってこの厳しい地球の自然の中を生き抜いてきたはずだ。例えば薬。私は子供の頃から小さな白い粒(つまり錠剤)や注射が自分の体の中に入ることを恐れていた。何故なら、本来自分の体の中には無いはずのものだから。食べ物や生活習慣で、病気(肉体的なものも精神的なものも)は治ると信じたかったし、今もそれは変わらない。

写真左から:溶けゆく氷河の氷柱の袂で パミール遠征はらくだと共に7500mの雪と氷の世界

我が弟は先天的に体が弱く、いつも薬を飲んでは横たわっていたし、泣いていた。そんな彼を見て薬に頼ったって本質的には何も治らないのではないかと考えていた。
結局、20年以上もの時を経て彼は、病院と薬と甘えから抜け出し、無農薬の有機栽培生活をしている。本来のあるべき姿にやっと辿り着いたわけであり、特別な行為に至ったわけではない。嬉しかったのは、彼自身がその道を自分で見つけ出したこと。

誰かに強要されたり教育されただけでの選択であったなら、あまり意味を持たないのかもしれない、とも思うのだ。
そんな弟に、「姉ちゃん、なんでわざわざ全てが凍りつくような極寒の山なんかに出掛けていくの?」と聞かれる。答えはひとつではないが、未知の世界に惹かれるからであり、未知の自分の姿を見つけるためであったり、未知なる地球の姿に触れられる瞬間を求めて、かもしれない。そして地球上の何処の地でも、その環境に順応して生活している人々に出遭う。

これまでに歩いてきた道

東京の奥多摩の苔萌ゆる沢から、エベレストまで出掛けた。その行程には、灼熱の太陽の下に岩壁を登ることもあり、厳冬期の凍った滝を登ることもあり、一晩に2メートルも積もる豪雪の中をもがいたこともあり、ホワイトアウトと雪崩に包囲されて大きな地球の中の自分のちっぽけさを感じた。パミールの大地では遊牧民達に習って山羊の体を頂き、パキスタンの風の谷では鳥を撃ち、湿原の蛙はハーブと共に野菜炒めとなる。横たわって眠ることも出来ない時は、岩壁に自分の体を固定して宙吊りで眠る。雪や氷を溶かして水を作り命をつないだが、燃料が尽きた後には精神力が命を保った。共に生還した友は、凍傷で指の何本かを失った。それでも私たちが命を奪われること無くまたここに戻ってこられるのは、地球と大地を敬うことを忘れなかったからに違いない。征服するつもりなどではなく、共に存在していたいのだ。

写真:パミールの大草原での夕景

体も心も元気でいられるために

もともと山登りが好き。体も心も不調な時、山に行くと元気になる。これが私の一番の治療法だ。
不思議な(しかし当然な)経験がある。自分も足の指に凍傷を患っていた時分、友人を山の事故で亡くしたり、仕事がうまくいかなかったりとストレスが重なり、どんなに薬を飲んでも塗っても患部がまるで快方に向かわなかった事があった。友の命を奪った山にもなかなか戻れずにいたのだけれど、計画していたマナスル(8163m、日本人が世界で最初に登頂したネパールにあるヒマラヤの一座)遠征に出掛けてしまった。凍傷の体を極寒の地に置くのは、本来なら絶対タブーであるところ。しかしネパールの高地民が言ったのは、山で患った怪我ならば山で治せるさ。
そしてその通り、雪と氷だけの世界に一月半身を置いて登山をしている間に、気付いたら私の体はすっかり元の通りに元気になっていた。

写真:5500m地点に設置したトイレ

これから歩いていきたい道

写真左から:西蔵族の子供達 パキスタンの空

日本にいる時は、子供達と環境学校を体感する。ニッポンの美しいところと醜いところの両面に触れて、そこで自分がどうしたいのか、何を残したいのか、何を大切にして自分は生きていきたいのかを考え議論する。小学校の子供達でも、自分の守りたい自然について、立派に議論することが出来るのだと知った。体験から自分の考えをしっかり持ち、思いを伝えることが出来る子供達を応援したい。それこそが、この地球で生き抜くための最低限の行為。

自分にとっての答えは、自分にしか導き出せないものなのだから、今日もまた私は地球のまだ見ぬ姿を求めて大地の上を歩いてゆこう。

参考:
山の店ジャンダルムホームページ内『ケイのでこぼこ登山』 www.gendarme.org
野口健公式ホームページ内『隊員レポート』 www.noguchi-ken.com
他、同ホームページ内から『マナスル基金』『シェルパ基金』にご協力下さい。
『山と渓谷』山と渓谷社/2003年10月号、2004年9月号、2006年1月号、9月号
『岳人』東京新聞出版/2006年1月号、2007年3月号、8月号、10月号
『山がくれた百のよろこび』山と渓谷社


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【プロフィール】

谷口けい
明治大学文学部史学地理学科卒、マスコミ系OLを経て現在は人材育成と組織開発のコンサルティング会社(株)IWNCにて研修プログラム担当ファシリテータ、野口健環境学校プログラムファシリテータ、山岳ツアー会社契約ツアーリーダー。日山協自然保護指導員。都岳連遭難対策委員兼救助隊。
2001年北米デナリ(6193m)、2002~2003年野口健エベレスト清掃隊、2004年パキスタン・ゴールデンピーク(7027m)、ライラピーク(6200m)、2005年新疆ウイグル自治区・ムスターグアタ(7434m)、インド・シブリン(6543m)、2006年ネパール・マナスル(8163m)、2007年西蔵自治区・チョモランマ(エベレスト8848m)