BOOKクラブ

みんなに注目されているソーパーさんたちに、石けん作りや日々の暮らしに影響を与えたお気に入りの一冊と、その本にまつわるエピソードを紹介してもらいました。

「科学的とはどういう意味か」

平成24年版の科学技術白書で、昨年の震災後、科学者や科学技術に対する国民の信頼は大幅に低下したとの調査結果が報告されました。少なからず理系方面で禄を食んでいるものとして、この結果は大変寂しいものでした。技術的な課題はもちろんあるのですが、それらと情報伝達や経済的な事情と表裏一体のリスク評価のような運用面の不備から生じた問題を混同して捉えられているのではないかということ、またそれ以上に「科学は科学者が取り組むこと」と考えている人が多かったのだと改めて感じたからです。
「多かった」と過去形で書いたのは、同じ調査の中で「科学技術の研究開発の方向性は専門家が決めるのがよいか」という問いに、これもイエスは大幅に低下しているのですが、転じてネガティブな票を投じた多くの方は自らがその方向性の決定に参画すべきだという意識を持たれたのだと解釈したいからです。なぜなら自然と科学技術両方の恩恵を維持しつつ、今後も起こりうる大規模自然災害や技術的トラブルによる被害を減じることができるのは、気合や願いではなく科学的なアプローチだけなのですから。

さて、今回私が取り上げさせていただく本は森博嗣さんの「科学的とはどういう意味か」です。
私をご存じの方はやっぱりこの方向性のタイトルかと、はじめましての方の中にはなんだか面倒そうな奴が出てきたぞとお思いの方も多いでしょう。そんな、面倒そうだと思った方にこそ手にとっていただきたい一冊です。

著者の森博嗣さんは密室ミステリィや近未来SFと括られるであろう小説で多くのベストセラーを出されている方です。これは私の解釈ですが、客観的な事実とその事実を知覚する人の数だけ存在する個人的な真実との間のずれが生みだすもの、またそもそも知覚とは何か、自分が自分であるという認識や感情はどこに存在しているのかというテーマを一貫して取り上げられていると思います。森さんの小説は「理系」と評されることが多く、ご本人は表題の本の中で出版社の演出のせいだと書かれていますが、この客観的に観察される事実を重んじる姿勢そのものがあきらかに理系だと思います。
そんな作風もさりなん、多くのミステリィの舞台となっている場所と時期に縁があり、リアリティのある風景で読めてしまう作品が多いこともあって、贔屓にしている作家さんの一人です。
現在、私が手作り石けんに関して対外的に行っている活動は唯一ブログを書くことです。あっという間に8年目になりました。極度の三日坊主だと自覚していた私にとってこれはかなりの偉業です! そのささやかな作文において一貫して心がけていること、それは「科学的であること」です。スタンス(立ち位置)のことで、常に数式や化学式を振りかざすという意味ではありません。科学的なスタンスとは? その答えではなく答えにたどり着く方法がこの本に書かれています。

はじめに科学とは、「客観的な事実を観察し、普遍的な法則を見出し、その法則で未来を予測する」手法です。知識体系ではなく方法なのです。ひょっとしたら科学そのものだと思っている人が多いかもしれない化学式や数式それ自体は、この定義に則れば、事実や法則の一部に過ぎません。
そして科学的な態度とは、それを知識として蓄えることではなく、法則に則って合理的に物事を考えることです。理系っぽい分野だけが科学を構成しているのではありません。社会科学、人文科学などの言葉があるように文系的な分野でも科学的な方法論を用いた研究が行われています。また古くは孫子の兵法が、勝つためには神秘思想を排して合理的に考え行動せよと繰り返し論じているように、現代科学など想像しようもない昔から変わらない基本的な考え方なのです。

では私が心がけている「科学的」とは具体的にどういうことか?
私が科学的な作文のために心がけていることは一つだけ、書こうとしていることが客観的な事実か、推論か、噂や伝聞か、自分も含めた誰かの主観・感想かを区別することです。
客観的な事実とは、他の人が同じ事実を観察、再現できるものです。可能性はあるけれどもまだ分析確認や実験的な再現がなされていない事柄(推論や噂の一部)、そもそも皆が同じにならないもの(感想※これは母集団が大きければ昇格します)、すでに科学的に明らかとされている法則に反しているもの、などを客観的な事実を混同させると正しい-少なくとも現時点でより正確と考えられる-情報を伝えることができないと考えています。(逆に意図的な混同を行う人もおり、それは似非科学やオカルトに属する手法でしょう)
もう少し噛み砕くと、石けんの今とこれからがどうなるかイメージできる、つまり普遍的な法則に近く未来の予測につながるであろう情報と、個人の感想や日常の話は混ぜない。主観が混じっているかもしれない観測結果で全体を判断しない。誰の意見なのか主語を明確にする。小さなことですが、それだけはブレないように気をつけています。
ただ、このような平たくいえば理屈と自分の気持ちを分けて考えるくせは、どうやら作文だけでなく日常の言動にも現れているようで、異常にさっぱりした人と評価されることも少なくありません。いやいやこう見えて内側は結構ドロドロですよとは言い出せない弱気な私です。
そんな醜い内側はさておき、この本に表現されている書き手としての森さんのスタンスやそのバックグラウンドは、もう共感を通り越して森さんは私じゃないのかと思ったほどでした(失礼)。そして、同じことの裏返しではありますが、情報の受け取り手のスタンスとして私はこうありたい、皆さんもそうであって欲しいと願っていることが書かれています(逆説的にそうでない人は損をするという表現で)。むしろそちらの視点がメインテーマなので続きは森さんにお任せすることにします。
残念ながら説教臭い本です。しかしこのような考え方を知識ではなく感覚として身につけることこそが、自分自身や社会全体がより安全で損の少ない選択を行う助けになると私は信じています。
やっぱり面倒なやつだったとお思いでしょうか。
その通り、自分でも時々面倒だなぁと、相手を怒らせたあとでここは理屈じゃなく気持ちを慮るべきだったかと反省するばかりの毎日です。どっちに振るべきか判断できる客観的な指標があればいいのに。森さんのように達観できるようになるのはいつの日か、不惑をすぎてもまだまだ人間修行中です。


スポンサードリンク

【ソーパープロフィール】

ゆりくまさん 愛知県出身、千葉県在住
◆ブログ くまぐま☆なちゅ http://kumaguma-soap.blog.so-net.ne.jp/

手作り石けんを始めたのは8年前、手湿疹の悪化で触りたくないものが増え、もう手っ取り早く全部石鹸にしちゃえ、作っちゃえ、というところから趣味化して今に至ります。
石鹸の工程では「固まる」ところが一番萌えます。
典型的なウィークエンドソーパーで、平日は石油化学メーカーに勤務する中間管理職です。
専門はケミカルエンジニアリング。石鹸作りでいうなら温度、攪拌、時間などを制御して均質で効率的な製造を行う方法や装置を設計開発する仕事です。
そんな経歴を活かせているかどうかは謎ですが、ほそぼそと続けているブログでは石鹸作りの過程で遭遇するいろいろな現象を解説するコーナーが人気、らしいです。